疑惑のリコーマイクロエレクトロニクス株式会社
<週刊誌の「週休4日制」報道でおかしな心理発生か?>
管理人 米村アキラ メール おかしな出来事の事情が分かれば連絡お願いします。 1988年、リコーマイクロエレクトロニクスは鳥取市で操業を開始した。12時間労働3勤4日制だった。多くの週刊誌は12時間労働には触れず「週休4日制」と報道した。12時間労働がわかると週刊誌の記事にならないからである。写真週刊誌『FRIDAY』も東京から鳥取に写真一枚を撮るためにわざわざやってきた。当時あまり週休2日制も定着していなかったので週休4日制はセンセイショナルだったのである。 当初は「週休4日制の会社出現!」などと報じられていたが、「12時間労働が実態」と非難する記事も現れてきた。週刊誌の報道にリコーマイクロエレクトロニクスも困惑しただろう。1週間に2日どころか4日も休日があるという報道は後ろめたかっただろう。ましてや地方都市の会社である。週刊誌の過剰報道でリコーマイクロエレクトロニクスの心理に問題が発生したのでは? 1989年8月頃、僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行った。自宅から6キロの距離を自転車で通勤した。当時バブル景気の最中だった。鳥取市では若い男が自転車で通勤する風潮はなかった。若い男が自転車で通勤すると変人扱いされることもあった。官庁街は例外だった。鳥取市では公務員はエリートだからいい車で通勤しなくても人格は否定されなかった。この風潮は日本の地方都市は同じだったようだ。群馬大学助教授の山西哲郎が「群馬で自転車に乗っているのは私だけだろう。群馬で自転車に乗っていると異常者扱いされる」と愚痴をこぼしていた。 1990年1月頃、雪がかなり降り自転車で通勤できなかった。そこで僕はジョギングで通勤した。普段からジョギングをしているのでそんなにきつくなかった。車社会で車ばかり乗っている人は驚いただろう。僕はリコーマイクロエレクトロニクスのアルバイトでは朝遅めに来て残業して仕事を終わらせていた。ジョギング通勤すると上の人から「遅刻はするな。そのかわり残業はするな」と言われた。社員にするつもりだったのだろう。 2月、インドに行くと行ってリコーマイクロエレクトロニクスを辞めた。辞めた翌日自宅に手相見がやってきた。父親の手相から息子の僕の単独海外旅行と単独行動を言い当て、「先祖の祟りだから」と言い、100万円近い数珠を買うように薦めた。あらかじめ僕のことを調べてた霊感商法だろう。単独行動とは車を持たず自転車通勤していることだろう。自転車通勤が先祖の祟りとは・・・ 当時行き過ぎた車社会だったから、みんなと違うことをしている僕の行動を異常とみなし「先祖の祟り」と言ったのだろう。父親は「当たっている」と驚いたが、母親や妹の反対で高価な数珠は買わなかった。 5月、インドから帰るとリコーマイクロエレクトロニクスから電話が掛って来た。「また来い」とのこと。再びリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行った。7月25日に富士登山競争がある。出場のため猛練習をした。練習疲れでアルバイトを休みがちになった。7月20日頃、総務のIさんから「休みが多い!」と激怒された。僕は「真面目に働きます」と言ったが、時給600円のアルバイトなどどうでもよかった。現場の上司は僕の勤務態度不良に言及し「社会人になるのを拒否している感じだ」と言った。リコーマイクロエレクトロニクスは僕を社員にしようとしていたようだ。その後富士登山出場競争のため休暇申請をしたら断られたので辞めた。辞める時、現場の上司から「仕事はどうするつもりなんだ?」と聞かれた。「仕事ならいくらでもあります」と言ったら「君は普通のお兄ちゃんじゃないだけー、いいところに就職せんといけんがなー」と言われた。僕は「日本一の馬鹿高校」と言われていた鳥取城北高校の出身だ。城北高校の進学クラスだったが授業のレベルが低く、勉強をする雰囲気ではなかった。高校の体制は無視し独学で大学受験の勉強をした。大学受験は失敗したが、同志社・立命館程度で馬鹿高校創立以来最も偏差値の高い大学に合格した。高校の時の素行がリコーマイクロエレクトロニクスに伝わっていたのだろう。鳥取市は狭い町だから噂が伝わりやすいのだ。 その後、シルクロード横断をし世界一周コースで日本に帰って来た。1991年4月頃、テスコという工場の夜勤専属工員になった。テスコは鳥取三洋(現・三洋電機コンシューマエレクトロニクス)の構内にあった。最初同僚は話し掛けてきたが僕が不機嫌そうに答えるせいか、話し掛けて来なくなった。人づき合いのない生活が1年半続いた。余暇は近所の山を走ったり、図書館で過ごした。過去目立った生活をしていたのに目立たない生活をしていた。こんなことをしていれば田舎で噂が発生しやすい。仕事は1日も休まずに続けていた。 1993年11月、テスコの夜勤から鳥取三洋の昼の仕事に替えられた。周囲の様子がおかしかったのでテスコのM社長に夜勤への変更を頼んだ。M社長は拒否し、「1人ぼっちが寂しくって、仲間はずれが悲しくって」を3回繰り返して言った。人づき合いのない生活を送っている僕に対する嫌がらせのつもりだろう。社長から嫌がらせを言われては辞めざるを得ない。テスコに辞めるよう電話を掛けた。なぜか三洋のKさんが電話に出た。「辞めさせてもらいたいのですが」「はい。どーぞ」。あっさり元請けの三洋からクビになった。 テスコに健康保険証を返しに行った。M社長と話した。「僕がリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」というおかしな噂が伝わっていた。リコーマイクロエレクトロニクスではアルバイトをサボり「休みが多い!」と激怒されクビになったが、テスコでは仕事を休まずに働いているのが報復になった。という非現実的な論理だった。常識以外に哲学を持っていない人は、他人が言ったことを真に受けやすいのである。とにかく僕が休まずに働いて、リコーに報復したという噂でクビになったらしい。 その後、M社長から泣きそうな声で雇用保険の書類を取りに来るよう電話が掛って来た。噂は嘘だと知ったのだろう。 冒頭に書いたようにリコーマイクロエレクトロニクスは「週休4日制」で週刊誌で騒がれた会社だ。つまり休みが多いことに負い目を感じて、こんなおかしな噂が発生したのではないだろうか? 次ページ